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読書と受験生 国語科主任講師 和田より

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うんちく・小ネタ

メビオ講師コラム

2016/11/12(土)

国語科主任講師の和田大輔です。

今日もまた、読書の話をします。

昨年、小説をいくつか紹介するブログを書いたところ、教えている生徒はもちろん、教えていない生徒から、「母が先生の紹介した本を買って読んだらしいです」との報告を受けたことも二度、三度あり、うれしかったです。

ところで、人に小説を薦めること、そして、何週間か、何ヶ月か経って、「あれ読んだよ、面白かったよ」と言う反応をもらうことが、なぜこんなにうれしいのか。その理由を考えたことがあります。

いろいろ考えましたが、結局それは、本を読む、小説を読むという行為が、読書以外の全ての作業を捨てて、埋没するものであるからだろうという思いに至りました。

自分が薦めた本を読むために、長い時間を割いて、独りだけの時間を本と共に過ごしてくれたことがうれしいんだろうと思います。久しぶりの友人と二人だけで酒を飲むのは人生の楽しみの一つですが、それに似たようなうれしさがあります。

互いに、その本を読んだ時期や、状況は違うにもかかわらず、同じ物語世界の中でそれぞれが一人旅をする――こう書いていると、そういえば、六年ほど前、ぼくが尾道にぷらりと一人旅に出かけたことを思い出しました。

ボールペンで手帳に町や島をスケッチしながら、瀬戸内海のしまなみ海道を渡っていったのですが、その話を授業中の雑談でしたところ、そのクラスにいたAくんという生徒が春休みの間に、ぼくが話したのと、全く同じルートで尾道の旧市街からレモンの島である生口島を経て、大島から今治まで旅したのでした。

Aくんにとってその春休みは、三浪目と四浪目の間のつらい時期でした。でも、いい時間だったと、彼は春になってメビオに帰ってきたときに語ってくれました。

そんなときに自分を見つめ直すために出かけた旅のあいだに、Aくんがどんな景色を見て、何に感動したのかについて、ぼくはおそらく誰よりも共感できると思います。その共感は、自分自身の尾道旅行を思い出すことでもあり、ぼく自身にとってもまた、豊かな時間なのです(Aくんはその一年後、近畿大学医学部に合格して、みんなをびっくりさせました)。

というわけで、「人に小説を薦めるのは、おすすめの一人旅のルートを紹介するようなもの、あるいは、自分の一人旅の体験を語り聞かせるようなものだ」という、考えに至ったところで(ぼく自身、いまこの文章を書きながらその考えに至りましたが(笑))、いままで生徒や友人に薦めて、「面白かった」という反応が多かった本を以下に書きます。


ガルシア=マルケス『百年の孤独』

コロンビアのジャングルに、ある夫婦がムラを作る。生まれた子どもたちはそれぞれ筆舌に尽くせないキャラクターの持ち主で、現実と幻想が混ざり合った不思議な現象が次々と起こっていきながら、更に子は子を、孫もまた子を産み、ムラは街となり、騒動と混沌は過剰を究めていく。
六代にわたる家族の物語は、文学史上たった一回しか使えないと言われる驚きのカラクリで幕を閉じますが、このラストの衝撃にぼくはしばらく動けませんでした。

新潮社のハードカバー版しか売っていないので、これを読もうとする人はおよそ3千円の出費を覚悟しなくてはなりません(笑)が、得られる読書体験は一生ものです。

カート・ヴォネガット『スローターハウス5』

ドイツ東部にドレスデンという美しい街があります。中世風の尖塔をもつ教会や木組みの美しい切妻屋根の町並みはまるでおとぎ話に出てきそうです。

1945年2月13日の未明、アメリカ空軍による焼夷弾はドレスデンの街を数時間のうちに焼き尽くし、一夜のうちにヒロシマを越えるとも言われる13万5千人が焼け死にました。

この大爆撃を生き残った数少ない人間の中に、この街の地下に抑留されていたアメリカ人捕虜として、作者カート・ヴォネガットがいました。翌朝地上に出てきた彼は、そこで目にした光景に生涯囚われることになります。

戦後、ヴォネガットはこの体験を小説に書こうと試みますが、言葉にするのに二十四年かかります。それほど、巨大な体験だったということでしょう。被災体験をどんな言葉でなら表現したことになるのか。震災を二度体験したぼくたちにとっても他人事ではありません。

ヴォネガットはコミカルなSF小説として書くことに決めます。
主人公ビリー・ピルグリムは、けいれん的時間航行者。身体のけいれんをきっかけとして、自分の意思とは関係なく、人生の様々な時代へとタイムスリップしてしまう。

例えばトイレに行こうとして扉を開けると、途端に老父として孫に囲まれていたり、ベッドに潜ったと思いきや、瞬く間に、娘の誕生日あるいは妻の死の場面へ。自分の誕生と死の瞬間も何度も経験している。悪ふざけは物語を追うごとに加速し、実は空飛ぶ円盤でトラルファマドール星に誘拐され、動物園で夫婦丸裸で見世物にされる。

そのように現実と非現実、現在・過去・未来をドタバタと駆け巡る最中、ついにドレスデンでのあの夜にタイムスリップするんです。読者はビリーと共に、現在・過去・未来、あるいは宇宙的視野の元、極限まで醒めきった目で、あの一夜を追体験します。

ビリーは人が死ぬたびにこう繰り返します。

「そういうものだ」と。


さて、長くなりそうなので今回は2つの海外小説を紹介したところで終わります。次回は、時間のないひとのために、短篇小説を紹介したいと思います。